ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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淀城
2011/8/12記
(2011/8/4訪問)

堀と石垣
●概要●
淀城は一国一城令で桃山城が廃城となった後に、幕府の命を受けた松平定綱により築かれた。築城には伏見城や二条城などの資材が用いられ、天守は二条城から移築したという(二条城に伏見城の天守が移築されたため)。1756年に落雷により天守など多くの建物が焼失。幕府は再建のための費用を貸したが、天守は再建されなかった。幕末の鳥羽・伏見の戦いの時、藩主の稲葉正邦は現職の老中であったが、城主不在の淀城は幕府軍の入城を拒み、淀での戦いは新政府軍が圧勝した。明治時代に入ると淀城は廃城となり、周囲は早々に開発された。現在は本丸と内堀の一部が残り、淀城跡公園となっている。豊臣秀吉の側室・淀殿が鶴松の産所とした淀城は淀古城と呼ばれ、淀城の北500m程の所にあった。現在、妙教寺がある辺りである。

●歴史●
1623(元和9)年 松平定綱が山城国淀藩へ3万5千石で入部。幕府の援助を得て築城を開始する。 
1625(寛永2)年 ほぼ完成する。翌年には徳川秀忠が視察に訪れた。 
1633(寛永10)年 永井尚政が10万石で入部。
1669(寛文9)年 石川憲之が6万石で入部。
1711(正徳元)年 戸田光熈が6万石で入部。
1717(享保2)年 松平乗邑が6万石で入部。
1723(享保8)年 稲葉正知が10万石で入部。以後、明治維新まで稲葉氏の居城となる。
1756(宝暦6)年 落雷により天守をはじめ大半の建物が焼失した。幕府は再建のために1万両を淀藩に貸し付けたが、天守や本丸御殿は再建されなかった。
1868(慶応4)年 鳥羽・伏見の戦いに敗北した幕府軍は淀藩に入城を拒絶される。
1873(明治4)年 廃藩置県により廃城となる。本丸の一部を除いて破壊された。
1968(昭和43)年 本丸跡地に淀城跡公園が開園した。


城址碑

天守台(立入禁止となっていた)

●地図● 京都市伏見区淀本町
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