ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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福知山城
2016/2/23更新
2009/1/26記
(2008/5/3訪問)

復元 大天守
●概要●
小笠原長清の末裔とされる塩見頼勝が、室町時代後期に横山城を築城。1579(天正7)年に明智光秀が丹波国を平定すると近世城郭へと大修築し、これを福智山城と改名して甥の明智秀満を城主とした。石垣は穴太衆による野面積みであり、石材に墓石や石仏が使用されている。織田信長やその家臣の城ではよく見られるが、その多さは郡山城 (大和国)と並んで群を抜く。これは石材不足や権力の誇示などさまざまな説があるが、未だにはっきりしていない。本丸の井戸「豊磐井」(とよのいわい)は、城郭内の井戸として日本一の深さ(50m)を誇る。現在は福知山城公園として整備され、天守は1986(昭和61)年に復元され、福知山市郷土資料館となっている。本丸以外の曲輪は残っておらず、廃城後の開発によって城のあった丘陵地形は分断された。復元天守は、大天守、続櫓、小天守が連結された形で、近世初期の望楼型である。外観は忠実に再現されているが、構造は鉄筋コンクリート造である。

●歴史●
室町時代後期 小笠原頼勝が横山の丘陵に空堀と土塁だけで出来た横山城を築く。後に塩見頼勝と改名。
1579(天正7)年 明智光秀が丹波平定の際に横山城を攻め落とし、塩見信房は自害して果てた。
光秀は丹波の国を与えられてこの城を大改修し「福智山城」と改めた。
1582(天正10)年 光秀は本能寺の変を起こし滅亡。丹波は豊臣秀吉の支配下に置かれ、小野木重勝や杉原家次らが城主となった。
1600(慶長5)年 重勝は細川幽斎の田辺城を攻め落としたが、関ヶ原で石田三成が敗れたため逃亡。細川忠興に追い討ちをかけられ自害した。
有馬豊氏が城主となって検地を行い、近代的な町割りを行い城下町を築き上げた。
1620(慶長20)年 豊氏は大坂夏の陣の功績により久留米藩へ転封。以後たびたび城主が代わる。
1669(寛文9)年 朽木稙昌が入城。以後、13代続き明治を迎えた。
5代目・朽木玄綱の代に地名を「福智山」から「福知山」に改めた。
1873(明治6)年 廃城令により廃城。建物は破却された。
1986(昭和61)年 天守が外観復元された。
2009(平成21)年 1月、釣鐘門が復元された。

●案内●
開館時間 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日 火曜日(祝日の場合は翌日)、12月28日〜31日、1月4日〜6日
入館料 大人320円、小中学生100円

●地図● 京都府福知山市字内記(内記一丁目)5

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