ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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八代城
2011/1/3記
(2008/8/6訪問)

大天守台
 
●概要●
八代城は中世の古麓城、安土桃山時代の麦島城、江戸時代の松江城(現八代城趾)の順に変遷してきた。元和の一国一城令の際に麦島城は例外的に存続が認められた。しかし、1619年に大地震で倒壊し廃城となると、加藤清正の子・加藤忠広は幕府に許可を得て球磨川の北岸・松江に新たに城を築いた。築城時は本丸の北西隅に4層5階の大天守と2層2階の小天守、7棟の櫓があった。石垣には石灰岩が用いられ、別名「白鷺城」とも呼ばれた。1672年に落雷で天守を焼失したが、再建されることはなかった。明治時代に廃城となり、本丸には八代宮が創建された。大書院以外の建物は取り壊されたが、その大書院も1986年に焼失した。

●歴史●
1619(元和5)年 麦島城(前八代城)が地震で倒壊し廃城となる。
1622(元和8)年 加藤忠広は球磨川の北岸・松江に新たに城を築いた。
1632(寛永9)年 加藤氏が改易され、細川忠利が熊本藩主となる。忠利の父・細川忠興は八代城北の丸を隠居所とし、4男・立孝を本丸に住まわせた。
1645(正保2)年 細川立孝、忠興が相次いで没する。
忠利は筆頭家老かつ将軍直臣の松井興長を八代城主とした。
以後明治まで代々松井氏が居城とした。
1672(寛文12)年 落雷により天守・櫓・長塀を焼失。
1797(寛政9)年 落雷により本丸大書院・三階櫓等を焼失。
大書院は再建されたが、天守・櫓は再建されなかった。
1870(明治3)年 廃城となる。


八代宮

石垣

●地図● 熊本県八代市本町

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