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そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。
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石垣山一夜城
2017/3/9更新(訪問日 2008/8/31)

石碑
◆概要◆
石垣山は、もと笠懸山、松山などと呼ばれていた。1590(天正18)年、豊臣秀吉が北条氏の本拠・小田原城を水陸15万の大軍を率いて包囲した時、その本営として総石垣の城を築いてから石垣山と呼ばれるようになった。小田原城まで僅か3kmの所にあり、標高257mの本丸からは小田原城や城下の様子が一望できる。小田原城からは見えないように築き、完成後に周囲の木を伐採。北条氏側に一夜にして築城されたかのように見せて驚かせ、戦闘意欲を失わせる効果を果たしたといわれる。実際には約3〜4万人を動員し、80日で構築された。当時、天守があったかどうかははっきりしないが、天守台跡は残っている。石垣や櫓を備えた本格的な「近世城郭」であり、関東で最初に造られた総石垣の城であった。石積みは秀吉が連れてきた近江の穴太衆による野面積といわれるもので、度重なる大地震に耐え、今日まで当時の面影をたいへんよく残している。秀吉はこの城に滞在していた100日余りの間に天皇の勅使を迎えたり、千利休や能役者、猿楽師等を呼び寄せた。また自ら淀君などの側室も呼び、参陣の諸大名にもこれにならうよう勧めたと言われている。この城は単に小田原城攻めの本営であるというだけでなく、太閤秀吉の威信を示すと共に、長期戦に備えた本格的な城構えであった。関東大震災で石垣に大きな被害を受けたが、井戸曲輪の石垣は立派であり、地震に耐えて現在もよく残っている。1959年に国指定史跡になり、現在は石垣山一夜城歴史公園として整備されている。

◆歴史◆
1590年 小田原征伐の際に陣城として築城
1923年 関東大震災で大部分の石垣が崩壊
1959年 国の史跡に指定

本丸物見台からの眺め

天守台

今も残る石垣
●地図● 神奈川県小田原市早川

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