ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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盛岡城
2016/3/6更新
2009/1/13記
(2007/9/23・2008/8/4訪問)

●概要●
盛岡城は盛岡藩南部氏の居城である。別名「不来方城(こずかたじょう)」と一般に理解されているが、厳密には両者は別の城郭である。(南部氏臣下・福士慶善淡路が設けた「慶善館」が本来の「不来方城」)西部を流れる北上川と南東部を流れる中津川の合流地にあった花崗岩丘陵に築城された。本丸と二の丸の間は空堀で仕切られ現在は朱塗りの橋が架かっているが、存城当時は廊下橋が架けられていた。さらにその北側に三の丸が配され、本丸を囲むように腰曲輪、淡路丸、榊山曲輪が配された。本丸には天守台が築かれたが、天守台に御三階櫓が建造され天守の代用とされたが、1842年に12代・利済により天守に改称されている。白い花崗岩で組まれた石垣は、土塁の多い東北地方の城郭の中では異彩を放っている。建造物は明治初頭に解体され、現存するものは少ない。現在は「盛岡城跡公園」として整備されている。

●歴史●
1591(天正19)年 南部信直は九戸政実を倒し、九戸城に本拠を移した。
1598(慶長3)年 信直は嫡男・利直に不来方の地へ築城を命じた。
慶長年間(〜1615年)には総石垣の城としてほぼ完成。利直は地名を「盛岡」に改めた。
1633(寛永10)年 3代藩主・重直の代に全城が竣工。
1634(寛永11)年 落雷で火薬庫が爆発して本丸を焼失。一時、福岡城(九戸城)を居城とした。
1635(寛永12)年 修復され盛岡城に戻る。以後、盛岡藩の藩庁として明治維新を迎えた。
1871(明治4)年 廃藩置県により廃城。
1874(明治7)年 廃城令により払い下げとなりほとんどの建物が解体移築された。
1906(明治39)年 岩手県に貸与され「岩手公園」として開園した。
1934(昭和9)年 旧城地は南部家より盛岡市に譲渡された。


現地案内図

立派な石垣が残っている

城址碑

本丸にある南部利祥像の台座

櫻山神社

●100名城スタンプ設置場所●
プラザおでって2階、もりおか歴史文化館2階
施設名 プラザおでって もりおか歴史文化館
営業時間 9:00〜20:00(季節変動あり) 4月〜10月 9:00〜19:00
11月〜3月 9:00〜18:00
休業日 第2火曜日(祝日の場合その翌日)
年末年始
第3火曜日(祝日の場合その翌日)
年末年始(12月31日、1月1日)
入場料 無料 2階展示室
大人300円、高校生200円、小中学生100円

●地図● 岩手県盛岡市内丸

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