◆概要◆
花巻城は10世紀頃、安倍氏が鳥谷ヶ崎城を築いたのが始まりとされます。
その後、稗貫氏がこの地方を支配し、16世紀後半に鳥谷ヶ崎城を本拠としました。
豊臣秀吉による奥州仕置により1591年に稗貫氏が滅び、代わって南部氏一族の北秀愛が城代となり「花巻城」と改称しました。
1615年の一国一城令の際には特例として存続が認められ、1869年に廃城となるまで南部氏が城代を置きました。
城跡は市街化により旧態を留めていませんが、本丸が花巻市指定史跡に指定され西御門が復元されています。
このほか、周囲には堀や堀跡がその地形を留め、円城寺門が鳥谷ヶ崎神社に現存しています。
●歴史●
10世紀、安倍氏が居城としており「鳥谷ヶ崎城」と呼ばれていた。
12〜16世紀、稗貫氏が居城としていた。
1590年、豊臣秀吉の小田原征伐に参加しなかった稗貫氏が、奥州仕置により領地を没収される。
1591年、南部家家臣・北秀愛が城代となり、城を改修して「花巻城」と改称した。
1598年、北秀愛が没し、その父・北信愛(北松斎)が城代となる。
1600年、南部氏が山形へ出陣している隙を突いて和賀氏旧臣が一揆を起こすが、北松斎が鎮圧する。
1613年、北松斎が没し、南部利直の二男・南部政直が城主となると、多くの櫓や門を建設した。
1869年、廃城
1873年、城内の建築物が破却された。
1992年、花巻開町400年を記念して、本丸西御門周辺が復元された。
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