ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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花巻城
2011/2/13記
(2008/8/4訪問)

復元 本丸西御門

●概要●
 花巻城は、10世紀の頃鳥谷ヶ崎城と称して安倍氏の居城であったと言われている。中世に入り稗貫氏がこの地方を領したが、永禄年間(16世紀後半)鳥谷ヶ崎城に本城を移した。天正19年(1591)稗貫氏が滅亡し、この地方は南部氏の一族である北秀愛が稗貫・和賀二郡の8000石の城代となり、鳥谷ヶ崎城を花巻城に改めた。その後、慶長3年(1598)北松代が2代目の花巻城代となり、同19年(1614)南部利直の庶子・南部政直が稗貫・和賀2万石の花巻城主となったが、故あって寛永元年(1624)に非業の死を遂げ、以降は藩士が交代となり花巻城を治めた。花巻城は地形に恵まれた要塞堅固な城であり、明治元年(1868)に開城となるまで、伊達藩境にほど近い要衝として南部藩の拠点となった。
 その形態は丘陵地を利し、周辺に深い堀を設けた平山城で、規模は東西約710m、南北約500mを計り北から本丸、二の丸、三の丸からなる梯郭式城郭構造となっている。
 現在、本丸跡が市指定史跡として保存されているほかは、公共施設や道路、民家によって占められているが、往時の威容は西御門跡附近や散見される土塁、堀跡にその名残をとどめている。また城内の建物や文化財についても、円城寺門や時鐘(いずれも市指定有形文化財)、さらに当時の武家住宅の趣を今に伝える松川家、伊藤家などがあり、貴重な文化遺産となっている。  平成9年7月 花巻市教育委員会
(現地案内板より)

●歴史●
10世紀 安倍氏の居城であり「鳥谷ヶ崎(とやがさき)城」と呼ばれていた。
12〜16世紀 稗貫氏が居城としていた。
1590(天正18)年 豊臣秀吉の小田原征伐に参加しなかった稗貫氏が、奥州征伐により領地を召し上げられる。
1591(天正19)年 城代となった南部家家臣・北秀愛が城を改修し、「花巻城」と改称。
1598(慶長3)年 北秀愛が没し、父・北信愛(北松斎)が城代となる。
1600(慶長5)年 南部氏が山形へ出陣している隙を突いて和賀氏旧臣が一揆を起こすが、北松斎が鎮圧する。
1613(慶長18)年 北松斎が没すると、南部利直の二男・政直が城主となる。政直は花巻城を近世城郭として整備し、多くの櫓や門を建設した。
1869(明治2)年 廃城となる。
1873(明治6)年 城内の建築物が破却された。
1992(平成4)年 花巻開町400年を祈念して、本丸西御門周辺が復元された。

●花巻城の夜討ち●
関ヶ原で天下分け目の戦いが行われていた頃、南部氏は山形へ出兵していたため、守りが手薄となっていた。奥州仕置きにより没落した和賀氏は好機到来とばかりに、旧領回復をめざして蜂起した。裏では南に境を接する伊達政宗が支援していたという。和賀勢の兵力はおよそ1000人で、9月20日の夜、花巻城を襲撃した。和賀勢の勢いは凄まじく、三の丸、二の丸が突破され、御台所御門を挟んで本丸に迫っていた。この時は城内の侍だけでなく、城下の農民や小姓たちも加わって城を守っていた。朝になり北松斎が城に戻り、盛岡からの援軍も到着してようやく一揆軍を撃退した。

●地図● 岩手県花巻市城内

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