ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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真壁城
2011/6/10
(2011/6/4訪問)

城址碑

●概要●
真壁城は大掾多気直幹の4男・長幹により築かれた。筑波山系の加波山の西山麓にあり、湿地帯に囲まれた微高地傾を利用した平城である。本丸の周りを曲輪が取り囲み、複雑な折れを伴なった堀や土塁、かなり大きな櫓台などで防御を固めている。本丸跡には体育館が建てられているが、その裏手は見ごたえのある堀や土塁が復元されている。

●歴史●
1172(承安2)年 大掾多気直幹の4男・長幹が城を築き、真壁姓を名乗った。
1422(応永29)年 足利持氏方の宍戸満里に攻められ落城。秀幹は戦死し、その子・慶幹は出家し所領は没収された。
1436(永享8)年 秀幹の庶子・景幹の子・朝幹が鎌倉幕府に赦され真壁氏を再興し、旧領を回復した。
1439(永享11)年 秀幹の子を名乗る氏幹が家臣の後ろ盾を得て相続争いが起きた。この争いは朝幹が勝利した。
1548(天文17)年 真壁久幹は小田政治の死を機に、結城政勝と同盟を結んだ。
1559(永禄2)年 結城政勝の急死を機に小田氏治が結城城を攻撃した。城内にいた小山高朝が防ぎ、水谷治持、真壁氏幹らの援軍で小田軍を撃退した。
1561(永禄4)年 真壁久幹は佐竹義昭と同盟を結ぶが、次第に家臣化する。
1569(永禄12)年 小田氏治が片野城の太田資正を攻めたが、資正は真壁氏幹らの援軍を得て小田軍を撃破。小田氏治は小田城を追われ、土浦城に敗走した(手這坂合戦)。
1602(慶長7)年 佐竹氏が関ヶ原の戦いで中立の立場であったことを咎められ出羽に転封となる。真壁氏も随行し、出羽角館に移った。
真壁城には浅野長重が2万石で入城した。
1624(寛永元)年 稲葉正勝が1万石で入城。
1628(寛永5)年 稲葉正勝が真岡に移封となり、真壁城は廃城となった。


本丸跡には体育館がある

堀と櫓台

南側の土塁と枡形(復元)

真壁城跡の測量図(クリックで拡大)

●地図● 茨城県桜川市真壁町古城
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