ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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竹田城
2016/2/21更新
2008/12/29記
(2008/12/28訪問)

竹田城址遠景
 
●概要●
縄張りが虎が臥せているように見えることから、別名「虎臥城(とらふすじょう)」と呼ばれる。また、城下から遥か高く見上げる山の頂に位置し、円山川の川霧により霞むことから「天空の城」の異名をもつ。雲海に浮かび上がる古城の累々たる石垣群の威容は名物となっている。東に立雲峡を望む標高353.7mの古城山(虎臥山)山頂に築かれ、縄張りは、南北約400m、東西約100m。天守台をほぼ中央に配置し、本丸、二の丸、三の丸、南二の丸が連郭式に配され、北千畳部と南千畳を双翼とし、天守台北西部に花屋敷と称する一郭がある。廃城から約400年を経ているが、石垣がほぼそのままの状態で残っており、現存する山城として全国屈指の規模となっている。

●歴史●
1431(永享3)年 但馬国守護大名・山名持豊(宗全)により、出石此隅山城の出城として築城開始。
嘉吉年間
(1441〜43年の間)
山名四天王の太田垣光景が配された。
1577(天正5)年 羽柴秀吉による但馬征伐により落城。
1578(天正6)年 羽柴秀長が城主となり、13年かけて総石垣造りの近世城郭に改修。
賦役のため「田に松が生えた」ほどの困窮に陥り、村中が夜逃げしたと伝わる。
石垣は穴太流石積みの技法(野面積み)が用いられている。
1580(天正8)年 秀長は出石の有子山城主となり、秀長の武将である桑山重晴が城主となった。
1585(天正13)年 桑山重晴は和歌山城に転封となり、秀吉に投降した龍野城主・赤松広秀が城主となる。
1600(慶長5)年 赤松広秀は関ヶ原の戦いでは西軍に属し、田辺城(舞鶴城)を攻めた。
徳川方の亀井茲矩の誘いで鳥取城攻めに加わって落城させるが、城下の大火の責めを負い鳥取真教寺にて切腹。竹田城は廃城となった。
2013(平成25)年 10月1日より有料に(高校生以上300円、中学生以下無料)


天守台から見た北千畳

天守台から見た南千畳
 
●縄張図●


●案内●
※2013(平成25)年10月1日より有料に。
閲覧は24時間可能→詳細

●アクセス●
鉄道 JR播但線・竹田駅からタクシーで約10分。または徒歩で約50分。
JR山陰本線・和田山駅からタクシーで約20分。
播但連絡道路、北近畿豊岡自動車道・和田山ICより約20分。

●地図● 兵庫県朝来市和田山町竹田
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