ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

なぽのブログを検索 なぽのホームページを検索

TopPage > 広島県
三原城
2010/8/15記
(2010/8/2訪問)

天守台
 
●概要●
最盛期の構造は、天守台を北に頂いた本丸、その東・西・南側に二の丸、そしてそれらの東側に三の丸と東築出、西側に西築出を設けた梯郭式の城であった。さらには海に向かって船入りを開いており、郭を隔てる縦横の堀の重なりも加わると、満潮時にはあたかも海に浮かんだように見えるところから浮城とも呼ばれた。1567年頃に小早川隆景によって整備が始められたとされる。隆景は、沼田川河口に浮かぶ小島や中州をつないで水軍の拠点とした。これが三原城の原型を成したものと思われ、三原要害とも呼ばれていた。その後も海城として整備が続けられ、隆景は新高山城から三原城へと本拠を移した。城の後背には、新高山城下などから数々の寺院を移し、さらに背後の「桜山」は元々山名氏が築いた桜山城があり、詰めの城としての機能を担わせた。本丸東南には突出部を持つ船入櫓を備え、城郭と軍港の機能を兼ね備えたものであった。隆景は一旦は筑前の名島城に移ったが、家督を養子の秀秋に譲ると隠居し、ふたたび三原城に戻ってきた。この時期に新高山城の石垣を昼夜を問わず運ばせており、更なる修築を重ねていった。三原に到る東西の往来は、山と海で挟み込まれたわずか100m程の隘路を進まざるを得ず、何重にも川と掘割が待ち受けており、山陽道有数の関所であった。三原城は幕末まで広島藩の支城として使われたが、明治維新後、帝国海軍の鎮守府(西海鎮守府)建設のために政府が確保したが、建物・樹木などは競売に付され、建築物は移築されたり、用材として処分された。さらに、1894年、山陽鉄道三原駅建設の際に駅用地に使用され、石垣も糸崎港建設の用材として大部分が撤去された。

●歴史●
1567(永禄10)年 小早川隆景によって整備が始められた。
1580(天正8)年 10年にかけてさらに整備が進められた。
1587(天正15)年 隆景は豊臣秀吉から筑前国を加増され、名島城に居城を移した。
1595(文禄4)年 養子の秀秋に家督・筑前国を譲り、三原城に戻り隠居した。
1596(慶長元)年 隆景は新高山城から三原城へ本拠を移した。
1600(慶長5)年 関ヶ原の戦いの後、福島正則が安芸・備後に入封。三原城には養子の正之を入れた。
1619(元和5)年 福島正則が改易となった後、紀伊和歌山藩主・浅野長晟の筆頭家老・浅野忠長が入り、広島藩の支城として幕末まで利用された。
1894(明治27)年 山陽鉄道三原駅建設の際に駅用地に使用され、石垣も糸崎港建設の用材として大部分が撤去された。
1975(昭和50)年 山陽新幹線開業では、同新幹線と山陽本線の高架改良後の三原駅が本丸および天守台を貫き、城地は寸断され現在の姿になる。


新幹線の高架下に残された本丸石垣

三原城絵図(クリックで拡大)

●地図● 広島県三原市城町

より大きな地図で 広島県の城跡/なぽのホームページ用 を表示
TopPage > 広島県