ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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神辺城
2010/8/15記
(2010/8/2訪問)

本丸
 
●概要●
室町時代の1443年に山名氏よって築かれた。黄葉山の神辺城は度々の改修を受け、江戸時代になると福島氏により近世城郭として整備されたが、福島氏に替わり入封した水野勝成は新たに福山城を築いたため、神辺城は廃城となった。この時に建物や石垣の殆どが福山城に転用されたため、神辺城跡には山頂や尾根を削った曲輪や掘割などが現存するのみとなっている。福山築城の際に神辺城にあった石垣の石材だけでなく多くの櫓を移築しているが、それらはいずれも現存しない。建築物として現存しているのは、実相寺に移築された城門と明王院に移築された書院がある。

●歴史●
1443(嘉吉3)年 山名氏によって築かれる。
1538(天文7)年 尼子氏方であった山名忠勝は大内氏方であった杉原理興に追われた。戦後、杉原理興は山名姓を名乗るようになる。理興は神辺城を備後の要所として修築した。
1542(天文11)年 大内義隆は尼子氏の月山富田城を攻めるが、山名理興をはじめ、備後・出雲・石見の国人衆が次々と尼子方に寝返ったため、大内軍は大敗した。
1543(天文12)年 大内義隆が神辺城に攻め寄せ、7年掛けて落城。山名理興は出雲へ逃げ、青景隆著が城主となる。
1555(弘治元)年 大内氏滅亡後、山名理興が城主となり毛利氏に属した。
1557(弘治3)年 山名理興が死去。嗣子がなかったため、山手銀山城の杉原盛重が家督を継ぐ。
1582(天正10)年 杉原盛重の子・元盛と景盛の間で争いが起こり、神辺城は毛利氏の直轄となる。
1600(慶長5)年 関ヶ原の戦いの戦、福島正則が入封。
神辺城には筆頭家老・福島丹波守正澄が3万石で置かれた。
1619(元和5)年 福島正則が改易され、水野勝成が入封する。勝成は芦田川河口の常興寺山に福山城を築き、神辺城は廃城となった。


移築城門(実相寺)

移築書院(明王院)

●地図● 広島県福山市神辺町川北

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