ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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広島城
2008/7/19記
(2007/8/22・2010/8/2訪問)

復元天守
●概要●
広島城は、広島市中区基町にある城郭。別名は鯉城(りじょう)ともいう。復元された大天守は歴史博物館として利用されている。広島市中央公園と隣接している。毛利氏の居城・吉田郡山城は尼子氏の大軍を撃退したほどの堅固な山城であった。しかし、交通の便が悪く、天下が安定してからの本拠地としては不適切であった。そこで、毛利輝元は瀬戸内の水運が生かせる海沿いの平地へ拠点を移動した。広島城の築城は川の中州の埋め立てるなど大工事となった。城の構造は大坂城を参考とし、縄張りは聚楽第に範を取っていると言われる。軟弱な地盤に築城したため、石垣の重量を分散させる工夫がなされている。朝鮮出兵の後方基地として期待され、秀吉は側近の黒田如水を派遣し、自らも建設中の広島城に滞在した。完成当初は内堀・中堀・外堀が約1km四方にわたり、大坂城に匹敵する規模の城だったと言われている。福島正則が城主の時代に街道を整備し、町人町が拡大した。しかし、洪水後の修築が幕府に無届けであったため福島正則は改易され、以後は浅野氏の居城となった。明治維新後に外堀が埋められ、さらに原爆の瓦礫で中堀が埋まり現在の規模になった。

●歴史●
1589(天正17)年 毛利輝元が交通の要衝である太田川三角州に築城を開始。
1599(慶長4)年 完成
1600(慶長5)年 関ヶ原の戦い後、毛利氏は防長二国に減封。
広島城は福島正則の居城となった。
1619(元和5)年 洪水被害の修復を幕府から無届け改築ととがめられ改易。福島正則は信濃国川中島へ転封された。
紀伊和歌山より浅野長晟が入城。その後、浅野氏12代が約250年間にわたって居城とし、明治に至る。
1864(元治元)年 第一次長州征討の幕府軍の本営となる。
1894(明治27)年 日清戦争時に大本営が広島城内に置かれた。
1931(昭和6)年 旧国宝に指定。
1945(昭和20)年 8月6日、原子爆弾により倒壊。
1951(昭和26)年 広島国体に合わせ木造仮設天守閣が作られた。国体終了後に解体された。
1953(昭和28)年 国の史跡に指定。
1958(昭和33)年 大天守が鉄骨鉄筋コンクリート造で外観復元。
1994(平成6)年 幾つかの建造物が木造で復元。

●別名「鯉城」の由来●
「己斐」の地名は以前は「鯉」であったと言われ、ここから鯉城の別名がついた。
一説には堀にたくさんの鯉がいたからとも、天守が黒いからとも言われる。

●天守●
天守は連結式と呼ばれるもので、渡櫓で2つの天守を連結するものであった。望楼型で黒漆塗りの下見板が張られた壁面は秀吉の大坂城天守を模したといわれ、屋根には金箔瓦が施されていた。明治時代に小天守が破却され、大天守のみが保存された。その後、他の建造物とともに旧国宝に指定された。大天守は原子爆弾の爆風によって倒壊し、大量の建材が天守台に散乱した。現在の大天守は1958(昭和33)年に鉄骨鉄筋コンクリート造で外観復元されたものである。

●広島大本営●
広島城内に、全国六鎮台の一つが設置された。日清戦争の際には大本営が広島に置かれ、1894年9月から1895年4月まで明治天皇が広島に行幸。これに伴い帝国議会も広島城内で召集され、短期間ながら臨時首都として機能した。戦場であった朝鮮半島に近く、交通の便が比較的良かったことが最大の理由とされている。


二の丸表御門

二の丸太鼓櫓

●100名城スタンプ設置場所●
天守1階ミュージアムショップ
観覧料 大人 370円、65歳以上 180円、高校生 180円、中学生以下無料
開館時間 3月〜11月 9:00〜18:00(入館は17:30まで)
12月〜2月 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日 12月29〜31日

●駐車場●
広島中央駐車場か基町パーキングに駐車。駐車場から北へ徒歩約10分。

●地図● 広島市中区基町

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