ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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福山城
2008/7/21記
(2007/8/22訪問)

左から月見櫓、鏡櫓、天守
●概要●
福山城は広島県福山市丸之内1丁目にある城で、国の史跡に指定されている。JR福山駅の新幹線ホームからよく見える。現存する建造物としては伏見櫓と筋鉄御門(共に重要文化財)がある。伏見櫓は福山城の築城時に伏見城から移築されたもので、現存の櫓としては最古である。天守は1945(昭和20)年の福山大空襲により焼失している。現在の天守は1966(昭和41)年に月見櫓、御湯殿と共に復興された。

●歴史●
1619(元和5)年 築城が開始される。
1622(元和8)年 完成。
1698(元禄11)年 水野家断絶。
1700(元禄13)年 松平忠雅が入封する。
1710(宝永7)年 阿部正邦が入封する。
1730(享保15)年 本丸御殿の奥居間が撤去される。
1865(慶応元)年 櫛形櫓、槍櫓、鉄砲櫓が焼失する。
1868(慶応4)年 福山城開城。
1873(明治6)年 福山城廃城、施設の売却が始まる。
1874(明治7)年 本丸が下賜される。
1875(明治8)年 本丸が「福山公園」となる。
1884(明治17)年 福山公園が広島県に移管される。
1888(明治21)年 月見櫓跡に「葦陽館」建設される。
1896(明治29)年 福山公園が福山町に移管される。城内建物の大修理が行われる。
1924(大正13)年 東外堀が埋め立てられる。
1931(昭和6)年 天守が旧国宝に指定される。
1933(昭和8)年 伏見櫓、筋鉄御門、御湯殿が旧国宝に指定される。
1935(昭和10)年 西外堀が埋め立てられる。鉄道拡張により二の丸南側が掘削される。
1945(昭和20)年 天守・御湯殿等が焼失する。
1950(昭和25)年 戦災をまぬがれた伏見櫓、筋鉄御門が重要文化財に指定される。
1952(昭和27)年 筋鉄御門の解体修理始まる。
1953(昭和28)年 伏見櫓の解体修理始まる。
1966(昭和41)年 天守、月見櫓、御湯殿が復興される。
2008(平成20)年 福山駅南口から御水門跡が発掘される。

●福山藩の成立と築城●
1619(元和5)年、福島正則が改易。徳川家康の従兄弟・水野勝成が備後国東南部と備中国西南部の計10万石を与えられ転封。入封時は備後・神辺城主であったが、神辺城は過去に何度も落城した歴史があった。そのため、一国一城令が実施されていたこの時期としては異例の新規築城が行われた。築城は1620(元和6)年に大水害により中断されるなど、困難を極めた。城の用材には福山城の築城に伴い廃城となった神辺城や、幕府より下賜された伏見城の遺材も多く用いられた。この時、伏見城から移築された建造物としては伏見櫓や月見櫓、御殿、御湯殿、鉄御門、追手御門、多聞櫓などがある。3年近くの歳月を要し、1622(元和8)年に完成。5重の天守や20以上の櫓をそなえ、10万石の城としては破格の巨城であった。築城後に幕府公金から金12,600両・銀380貫が貸与されるなど、西国街道と瀬戸内海の要衝を護る城として幕府に期待されていたことが伺える。

●福山城の弱点●
福山城の北側は築城当初から堀や石垣が設けられず、弱点とされている。俗説では幕府に対する配慮として搦手の防備設備の放棄をしたといわれているが、「西国における拠点」という築城目的と矛盾する。そのため、予算不足、または吉津川を芦田川の本流にして堅固とする計画が中止になったことなどが考えられる。いずれにしても、築城後に防備が見直されることはなかった。明治維新時に新政府軍(長州軍)がこの北側から城内へ侵入し、脆弱さを証明することになった。

●福山城での戦闘●
第二次長州征伐から3年後の慶応4年(1868年)1月9日、幕府側の重要な拠点であった福山城が初めての攻撃を受けた。王政復古により新政府軍(長州軍)は徳川譜代である福山藩を朝敵と見なし備後国へ侵攻。福山藩はこの直前に藩主・阿部正方が急死しており、藩主の死を秘匿し当初から迎撃を諦めて福山城に篭った。城下の手前まで進入した新政府軍はまず城の北西にある円照寺に陣取り、福山城の北側から大砲による攻撃を開始。福山藩首脳たちの奔走により、新政府軍が本格的な攻撃を開始する前に福山藩は恭順を許された。

●明治維新〜福山大空襲●
福山城は1873(明治6)年の廃城令により廃城とされ、殆どの施設は民間に払い下げられた。建物は建築資材として売却・解体され、廃城から間もなく建物は天守、伏見櫓、筋鉄門、御湯殿、鐘櫓、涼櫓が残されるのみとなった。敷地は本丸を除いて殆どが売却され、宅地や農地などに転用されていった。堀は昭和初期までに福山駅の拡張や山陽鉄道線路敷設、両備軽便鉄道駅舎(両備福山駅)建設などにより埋められた。本丸は歴史的建築物の破壊を惜しむ周辺自治体の誓願により1874(明治7)年下賜され、「福山公園」として整備された。しかし、天守の修復費用を確保できず、1884(明治17)年に広島県へ返納。県は天守の修復どころか公園の維持費すら出し渋ったため、天守の破損は進み園内も荒廃した。見かねた福山町は県に公園の移譲を請願し、1896(明治29)年に認可。翌1897(明治30)年に天守、伏見櫓、筋鉄御門、御湯殿の修理が行われた。1931(昭和6)年に天守が、1933(昭和8)年には伏見櫓、筋鉄御門、殿湯殿が旧国宝に指定された。しかし、1945(昭和20)年8月8日、福山大空襲により天守、御湯殿、涼櫓などが灰燼に帰した。伏見櫓と筋鉄御門は焼失を免れ、現存している。


伏見櫓

筋金御門

●100名城スタンプ設置場所●
天守内(福山城博物館受付)
開館時間 4月〜8月 9:00〜18:30(入館は18:00まで)
9月〜3月 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
年末(12月28〜31日)
入館料 200円、高校生以下無料

●地図● 広島県福山市丸之内1丁目
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