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そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。
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館林城
2017/3/29更新(訪問日 2008/10/4)

土橋門
◆概要◆
館林城は群馬県館林市にあった城で、尾曳(おびき)城ともいう。15世紀に築かれたとされるが詳細は不明。その形態は、城沼を城の東側の外堀とし、この沼に突出する低台地を区切って城の中心である本丸、二ノ丸、三の丸、八幡郭南郭を置き、これを取り囲むように稲荷郭外郭惣曲輪を構え、さらにその西方の台地に城下町を配置し、その全てを土塁と堀によって囲んでいた。徳川四天王の榊原康政が石垣や天守を持つ近代的な城に造り変えた。また、徳川綱吉が5代将軍になってからは、将軍を輩出した徳川宗家に関わる重要な地として江戸幕府に位置づけられ、最後の城主・秋元氏まで江戸幕府の重鎮を務めた7家の居城として栄えた。現在は一部の遺構を残すのみで、跡地に市役所、文化会館、市立図書館、向井千秋記念子ども科学館などが建てられている。
◆歴史◆
1471年 関東管領・上杉軍が古河公方に味方していた赤井文六・文三の居城である館林城を攻略しました。
1590年 徳川家康の関東入封に伴い、徳川四天王の一人・榊原康政が館林10万石の城主となりました。
1874年 城の建物の大半が焼失しました。
1982年 土橋門が発掘調査の結果を元に復元されました。

城址碑
土橋門
土橋門は1983年、城下町・館林のシンボルとして城壁とともに復元されました。この門は三の丸に設けられ、通用門として使われていました。防御用に黒色の鉄板が打ち付けられていたため、「黒門」とも呼ばれています。
狐の尾曳伝説
城主の赤井照光が子供達にいじめられていた子狐を助け、そのお礼に老狐が尾を曳いて城の縄張りを教えてくれたというものです。このほか、豊臣秀吉の小田原征伐で石田三成が攻め寄せた際、堀に大量の石や木を投げ込んで埋まりかかっていましたが、夜が明けるとそれらが全て沈んでしまいました。これも狐の霊験とされました。現在でも狐を祀った尾曳神社や稲荷神社が周辺にあります。
●地図● 群馬県館林市城町

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