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そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。
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高崎城
2017/3/29更新(訪問日 2008/6/14、2008/12/13)

乾櫓
◆概要◆
平安時代末ごろに和田義信により和田城が築かれ、戦国時代を通じて和田氏が支配していました。1590年に後北条氏が滅ぼされた時に廃城となりましたが、1597年、井伊直政が和田城跡に新たに城を築き、地名を「高崎」に改めました。その後、1619年に城主となった安藤重信から3代にわたって高崎城の大改修が加えられました。現在は高崎市役所などがあり遺構は殆ど残っていませんが、乾櫓や東門をはじめ、地図で見てもわかる外堀と土塁が残っています。

◆歴史◆
平安時代末 この地の豪族・和田義信が築城したと伝わります。
1590年 小田原征伐で前田利家・上杉景勝等の連合軍に包囲され落城し、廃城となりました。
1597年 徳川家康の命により、箕輪城主・井伊直政が和田城跡に近代城郭の築城を開始。
1598年 城が完成。井伊直政は入城に際し、地名を「高崎」と改めました。
1619年 安藤重信が城の改修に着手し、3代77年間をかけ近代城郭として整備されました。
1873年 廃城令により廃城。第3師官官内分営所が置かれ、建造物は移築もしくは破却されました。
1974年 乾櫓が県の重要文化財に指定され、現在の位置に移築復元されました。
1980年 東門が乾櫓そばに移築復元されました。

縄張図(拡大)

東門
高崎城16の城門中、本丸門、刎橋門、東門は平屋門であった。そのうちくぐり戸がついていたのは東門だけで通用門として使われていた。この門は寛政10年正月(1798年)と天保14年12月(1843年)の二度火災により焼失し、現在のように建て直されたものと考えられる。くぐり戸は乗篭が通れるようになっており、乗馬のままでは通れなくなっている。この門は明治のはじめ、当時名主であった梅山氏に払い下げられ、市内下小鳥町の梅山大作氏方の門となっていた。高崎和田ライオンズクラブは創立50周年記念事業としてこれを梅山氏よりゆずりうけ復元移築し、昭和55年2月、市に寄贈したものである。(現地案内板)
●地図● 群馬県高崎市高松町

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