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そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。
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沼田城
2017/4/16更新(訪問日 2007/12/31、2017/4/15)

鐘櫓
◆概要◆
利根川と薄根川の合流点の北東、河岸段丘の台地上に築かれた。二つの川側は約70mほどの崖となっており、典型的な崖城である。幾つかの守護城に囲まれており、その守りは堅固である。また、沼田は北関東の要衝であり、重要拠点として争奪戦の的となった。戦国時代には城代の猪俣邦憲が3kmほど北にある真田氏の名胡桃城を攻め落としたことが惣無事令に反するとして、豊臣秀吉が北条氏を滅ぼす原因となった。北条氏の滅亡後は真田信幸が城主となり、5重の天守を築くなど大規模な改修を加えた。だが、5代目・真田信利の代に沼田真田家は改易となり、廃城となった。1703年に本多正永が入城し沼田藩が再興したが、城は陣屋程度のものが建てられた。

◆歴史◆
1532年 沼田顕泰により築かれた。
1569年 沼田氏の家督争いに乗じて上杉謙信が城を奪った。
1578年 上杉家で家督争い(御館の乱)が起こる。
鉢形城主・北条氏邦が沼田城を占領した。
1580年 真田昌幸の叔父・矢沢綱頼が沼田城を攻略。
藤田信吉、海野幸光・輝幸兄弟らを城代とした。
1585年 真田昌幸は徳川家康より沼田を後北条氏に明け渡すよう命じられたが拒否。
上田城を攻められたが撃退した。(第一次上田合戦)
1589年 豊臣秀吉により沼田領の2/3は後北条氏、名胡桃城を含む1/3が真田氏の領地となった。
しかし、沼田城代の猪俣邦憲が名胡桃城を攻め落とし、豊臣秀吉が後北条氏を滅亡させる原因となった。
1590年 後北条氏滅亡後は、真田昌幸の嫡男・真田信幸が入城。天守を築くなど規模を拡大した。
1600年 関ヶ原の戦いで東軍についた真田信幸(以降「信之」に改名)は上田領を加増される。
1615年 大坂夏の陣。真田信之は上田に本拠を移し、沼田真田家は別家となる。
1681年 5代め真田信利は、暴政と江戸両国橋架け替え用材調達遅延のため改易され、天領となる。
沼田城は廃城となり破却された。
1703年 本多正永が入城し城を修復。3代続く。
1732年 黒田直邦が入城。2代続く。
1742年 土岐頼稔が入城。12代続き明治維新を迎えた。
1869年 廃城となり、建物は破却された。
1916年 旧沼田藩士の子・久米民之助が私財を投じて購入し、公園として整備した。
2017年 4月6日、続日本100名城に選出。


沼田公園案内図(拡大)

説明板(拡大)

二の丸(野球場)

本丸堀の説明板

本丸堀の跡

本丸

西櫓台の石垣

西櫓台の石垣

西櫓台の石垣

古城

天守のイラスト

北側に残る土塁

真田信之と小松姫像

真田信之と小松姫(現代風に)

真田幸村(戦国無双のイラスト)

●地図● 群馬県沼田市西倉内町

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