ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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岐阜城
2016/2/28更新
2008/8/30記
(2007/4/30訪問)

復元天守

◆概要◆
岐阜城は岐阜市の金華山(稲葉山)にある山城跡。織田信長が斉藤龍興から奪取した稲葉山城の縄張りを破却し、新たに造営したものが岐阜城である。難攻不落の名城として知られているが、歴史上6回落城している。山頂部の平坦地は少なく、井戸も雨水を蓄えるもので、戦国時代末期の大人数による長期籠城戦には本質的に不向きであった。織田信長時代は、山頂部には信長の家族や人質が暮らしていた。

◆歴史◆
1201(建仁元)年 二階堂行政が稲葉山の上に砦を築いた。
15世紀中頃 美濃守護代・斎藤利永が修復して居城とする。
1525(大永5)年 斎藤氏家臣・長井長弘と長井新左衛門尉が謀反。
稲葉山城は長井氏の支配下となる。
1564(永禄7)年 家臣の竹中半兵衛重治と安藤守就が造反し挙兵。
斎藤龍興は城を捨て、竹中らが城をしばらく占拠する。
1567(永禄10)年 織田信長が木下藤吉郎の活躍により稲葉山城を攻略。
斉藤龍興から奪取した稲葉山城の縄張りを破却して、新たに城を造営。
地名を岐阜と改め、城も岐阜城とした。
1582(天正10)年 織田信忠が本能寺の変で倒れると、家臣の斎藤利堯が岐阜城を乗っ取る。
しかし、明智光秀が羽柴秀吉に敗れ降伏した。
1583(天正11)年 織田信孝は柴田勝家と呼応し挙兵。(賤ヶ岳の戦い)
兄・信雄により包囲された。柴田勝家の自害を知り降伏。
戦後は羽柴氏家臣・池田元助の居城となる。
1600(慶長5)年 城主・織田秀信(幼名・三法師)は石田三成の挙兵に呼応。関ヶ原の戦いの前哨戦で岐阜城に立てこもるが、福島正則や池田輝政らに攻められ落城。
1601(慶長6)年 徳川家康は岐阜城の廃城を決め、奥平信昌に10万石を与えて加納城を築城させる。その際、岐阜城山頂にあった天守、櫓などは加納城に移された。この天守は1728(享保13)年に落雷により焼失。
1910(明治43)年 5月15日に3層3階の模擬天守が再建された。
これは長良橋の廃材を活用し、木造、亜鉛葺きであった。
1943(昭和18)年 2月17日早朝に失火のため焼失。
1955(昭和30)年 6月、再建期成同盟が発足。約4ヶ月間で1,800万円の募金が集められた。
1956(昭和31)年 7月25日、鉄筋コンクリート建築で3層4階建ての復興天守が落成。
天守閣の設計は加納城御三階櫓の図面や古文書を参考にした。
1975(昭和50)年 4月、隅櫓(岐阜城資料館)が完成。
1997(平成9)年 大改修が行われる。

◆天主と天守◆
信長時代の岐阜城の麓には4階建ての御殿があり、天主(てんしゅ)といった。山頂にも「てんしゅ」があり、こちらは「天守」と書いた。「天守」は池田輝政時代に改変され、加納城築城によって他の建物と共に移築されたが、1728年の落雷により焼失した。

◆100名城スタンプ設置場所◆
岐阜城資料館(天守の手前)

◆案内◆
天守・資料館
  期間 岐阜城 金華山ロープウェー
開館時間 3月16日〜5月11日
5月12日〜10月16日
10月17日〜3月15日
1月1日
岐阜城パノラマ夜景期間中は22時頃まで営業
9:30〜17:30
8:30〜17:30
9:30〜16:30
6:30〜16:30

9:00〜18:00
8:00〜18:00
9:00〜17:00
5:00〜17:00

休館日 年中無休
入館料 大人(16歳以上)200円、小人(4歳以上16歳未満)100円

金華山ロープウェー
  運賃 パノラマ夜景期間中の午後6時以降
大人(12歳以上) 往復1080円、片道620円 往復900円
小人(4歳以上11歳) 往復540円、片道280円 往復450円
平日は15分間隔、土日祝日は10分間隔で運行

◆地図◆ 岐阜市金華山

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