ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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猫尾城
2010/12/30記
(2010/8/5訪問)

本丸にある彦山神社
 
●概要●
12世紀末に源助能が築いたとされる。別名・黒木城ともいう。助能の子・黒木定善は黒木荘を領し、黒木氏は代々猫尾城を本拠とした。矢部川と笠原川の合流点の東側に半島状に突出している猫尾山頂にあった。本丸は南北56m、東西28mで、周囲に犬走りが設けられ、東西と建物部分には石垣、南北には土塁が築かれていた。また本丸の西には南北18m、東西40mの馬場を挟み、約30m四方の二の丸があった。反対側の本丸東には空掘を挟んで三の丸が設けられた。また、追手門の北側と本丸の南東・北東隅の3か所に櫓があった。城主・黒木氏の屋敷は西側の矢部川と笠原川に挟まれた場所にあり、土塁によって二の丸と繋がっていた。戦国時代には肥前の龍造寺氏と豊後の大友氏の間で何度も争奪戦が繰り返された。関ヶ原の戦いの後、筑前一国を治めた田中吉政により城番が置かれたが、元和の一国一城令により廃城になったものと思われる。

●歴史●
1167(仁安2)年 源助能が築いたとされる。
1336(建武3)年 足利尊氏は上野頼兼らに命じ、南朝方の菊池武敏を攻撃させて落城した。
その後、頼兼の軍勢により破却された。
1374(応安)7年 その後再建されたが、今川義範らの攻撃を受けて翌日降参している。
1584(天正12)年 龍造寺氏に属していた黒木実久の守る当城が大友義統に攻囲された。
戦況は膠着状態であったが、立花道雪・高橋紹運が加わり陥落した。
1601(慶長6)年 筑後に封じられた田中吉政は、辻重勝を城番とした。
1615(元和元)年 一国一城令により廃城になったものと思われる。

●地図● 福岡県八女市黒木町北木屋

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