ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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岩屋城
2010/1/2記
(2010/1/1訪問)

本丸跡にある石碑
 
●概要●
立花山城と共に大友家の筑前支配の拠点であったが、城主の高橋鑑種が謀反を起こした。吉弘鑑理・戸次鑑連により鎮圧され、鑑理の次男・鎮種が高橋氏の名跡を継いで宝満・岩屋の両城主となった。1585年に立花道雪が死去すると近隣勢力からの侵攻が活発となり、1586年、島津軍2万に攻められ落城した。

●歴史●
1532-54年の間 大友氏家臣・高橋鑑種が築いたといわれる。
1567(永禄10)年 高橋鑑種が謀反を起こしたが、鎮圧された。この後、吉弘鑑理の次男・鎮種が高橋の名跡を継ぎ、高橋紹運と改名して城主となった。
1586(天正14)年 島津軍2万に包囲される。763人で篭城し、島津軍に3000人以上の犠牲者を出したが、半月後に玉砕し落城した。


本丸跡

林道から見た本丸

高橋紹運
(たかはし しょううん)

1548年、大友家重臣・吉弘鑑理の次男として生まれた。1567年、高橋鑑種が謀反を起こした時、父・鑑理や兄・鎮信と共に出陣して武功を挙げ鎮圧した。戦後、大友宗麟の命令で高橋氏の名跡を継ぎ、同時に紹運と改名。岩屋城と宝満城の2城を与えられた。立花道雪の補佐役を務め筑前支配に貢献。大友氏が衰退し始めると龍造寺隆信や筑紫広門、秋月種実らが大友領へ侵攻したが、立花道雪と協力してこれらを打ち破った。道雪とは親子のような関係にあったとみられ、長男・統虎(のち立花宗茂)を惜しみながらも養子に出している。1586年、九州制覇を目指す島津氏が2万の大軍を率いて、岩屋城に侵攻。わずかに763名ほどで降伏勧告をはねつけて徹底抗戦した。激しく抵抗して島津軍に3,000人の犠牲者を出したが、7月27日に全員討死にし、岩屋城は陥落した。享年39。城跡から道を隔てた南西側に墓がある。

●地図● 福岡県太宰府市太宰府四王寺山

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