ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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一乗谷朝倉氏遺跡
2016/2/28更新
2010/5/4記
(2010/5/2訪問)

唐門

●概要●
戦国時代に越前国を支配した戦国大名・朝倉氏の遺跡である。福井市街の東南約10km、足羽川支流である一乗谷川下流沿いの細長い谷あいに築かれた。東、西、南を山に囲まれ、北には足羽川が流れる天然の要害で、周辺の山峰には城砦や見張台が築かれ、地域全体が広大な要塞群であった。また、谷あいの南北に「城戸」を設け、その間の長さ約1.7kmの「城戸ノ内」に、武家屋敷をはじめ寺院、町屋が計画的に整備され、日本有数の城下町を形成していた。三国湊に続く足羽川の水運や大野盆地に通じる美濃街道、鹿俣峠を抜け越前府中へ続く街道などが通り交通の要衝でもあった。朝倉氏は南北朝時代には、一乗谷を本拠にしていたようである。足利将軍家の分家である鞍谷公方もいたことから応仁の乱を避けて京から多くの公家や高僧、文人、学者たちが避難してきた。そのため飛躍的に発展し、「北ノ京」とも呼ばれた。4代・朝倉孝景の頃に全盛期を迎え、最盛期には人口1万人を超えていた。しかし、1573年8月、刀禰坂の戦いで朝倉義景が織田信長に敗れ、一乗谷は灰燼に帰した。朝倉氏の後に越前守護代となった朝倉氏旧臣・桂田長俊も一乗谷に居館を構えたが、1575年1月、一揆により一族もろとも討ち取られた。一揆平定後に越前八郡を与えられた柴田勝家は北ノ庄を本拠としたため、一乗谷は田畑の下に埋もれていった。1960年台より本格的な発掘調査が開始され、160万点を超える遺品が出土。そのうち2343点が国の重要文化財に指定され、1981年には発掘結果を保存・展示する一乗谷朝倉氏遺跡資料館が遺跡の付近に開館した。

●歴史●
1471(文明3)年 戦国初代・朝倉敏景が黒丸館より一乗谷に本拠を移した。
1499(明応8)年 足利義稙が朝倉貞景を頼り来訪。
1567(永禄10)年 11月21日、戦国5代・朝倉義景が足利義秋(1568年4月、一乗谷で義昭に改名)を安養寺に迎える。
1568(永禄11)年 7月24日、義昭は上洛を果たすため織田信長を頼って美濃国へ出国。
1573(天正元)年 8月16日、刀禰坂の戦いで織田信長に大敗した義景は大野へ逃れる。
翌日、信長の軍勢によって火を放たれ、一乗谷は灰燼に帰した。
朝倉氏滅亡後、信長より守護代職を与えられた朝倉氏旧臣・桂田長俊(前波吉継)が一乗谷に館を構えて越前を統治。
1575(天正3)年 1月18日、一揆が蜂起。
翌日、一揆勢3万3千人が一乗谷に攻め入り、桂田長俊は討ち取られた。
信長が一揆を平定後、越前を与えられた柴田勝家は本拠を水運・陸運に便利な北ノ庄に構えた。一乗谷は田畑の下に埋もれていった。


朝倉義景館跡外観

朝倉義景館跡

湯殿跡庭園

中の御殿跡脇にある土塁

諏訪館跡庭園

下城戸に現存する土塁

●100名城スタンプ設置場所●
復原町並入口(北口・南口の2箇所)
開場時間 9:00〜17:00(入場は16:30まで)
休場日 年末年始
入場料金 大人210円、中学生以下無料
一乗谷朝倉氏遺跡資料館との共通券は230円

一乗谷朝倉氏遺跡資料館
開館時間 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日 年末年始(12月29日〜1月2日)
このほか臨時休館あり。
入館料 大人100円、高校生以下無料
復原町並との共通券は230円

●地図● 福井市城戸ノ内町ほか

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