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ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・

そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。

そして気が付いたら全国津々浦々(笑)

これまでに訪問したお城を紹介します。




愛媛県のお城
今治城(いまばり)今治市
宇和島城(うわじま)宇和島市
大洲城(おおず)大洲市
川之江城(かわのえ)四国中央市
松山城(まつやま)松山市
湯築城(ゆづき)松山市
現存12天守
弘前城(青森県)
松本城(長野県)
犬山城(愛知県)
丸岡城(福井県)
彦根城(滋賀県)
姫路城(兵庫県)
松江城(島根県)
備中松山城(岡山県)
丸亀城(香川県)
松山城(愛媛県)
宇和島城(愛媛県)
高知城(高知県)






宇和島城
2014/12/28更新
2008/6/9記
(2007/8/20訪問)

現存天守
●概要●
日本国内にある12基ある現存天守(江戸時代以前に建造された天守を有する城郭)の1つ。重要文化財に指定されている。通称鶴島城、丸串城。藤堂高虎により現在の五角形の縄張りの城がつくられた。城を囲んだ寄手に四角形の城と誤認させ、残る一方から反撃する戦法を想定していたという。江戸幕府の隠密もこの城を四角形と報告したといわれている。東側に堀、西側半分が海により守られていたが、現在は堀も海も埋め立てられている。
当初は望楼型の三重天守であったが、伊達宗利によって現在の形に改められたという。全体的に清楚な印象があるため、日本国内の天守の中でも人気がある。宇和島伊達家は、江戸時代はこの地を動くことなく明治を迎えた。8代藩主・伊達宗城は、幕末から明治維新にかけて活躍した名君として知られている。

●歴史●
 
 941(天慶4)年 警固使・橘遠保が藤原純友の乱の際にこの地に砦を構えたとされる。
1236(嘉禎2)年 西園寺公経が宇和島地方を勢力下に置き、砦程度の城を置く。
1546(天文15)年 家藤監物が城主となる。大友氏、長宗我部氏等の侵攻に耐えた。
1575(天正3)年 家藤監物が去り、西園寺宣久の居城となる。
1585(天正13)年 伊予国は小早川隆景の所領となり家臣の持田右京が城代となった。
1587(天正15)年 小早川隆景は筑前国に転封となった。
大洲城に戸田勝隆が入城。戸田与左衛門が城代となった。
1595(文禄4)年 藤堂高虎が宇和郡7万石を与えられ入城。
1596(慶長元)年 藤堂高虎、城の大改修に着手。
1601(慶長6)年 現在の姿の城が完成し、宇和島城と名付けられる。
1608(慶長13)年 富田信高が伊勢より転封し入城。
1613(慶長18)年 信高は改易となり徳川幕府直轄となる。
藤堂高虎が代官となり藤堂良勝を城代とした。
1614(慶長19)年伊達政宗の長男(庶子なので嫡子ではない)伊達秀宗が10万石で入封。
1662(寛文2)年 2代藩主・伊達宗利、老朽化した城の改修に着手。
1671(寛文11)年 改修竣工。
1900(明治33)年 この頃から櫓・城門などが解体される。
1934(昭和9)年 天守と大手門が国宝保存法に基づき国宝に指定。
1937(昭和12)年 国の史跡に指定される。
1945(昭和20)年 太平洋戦争時、空襲により大手門焼失。
1949(昭和24)年 伊達家より天守と城山の大半を宇和島市に寄贈。
1950(昭和25)年 文化財保護法により天守が重要文化財に指定となる。
1961(昭和35)年 2年がかりで天守解体修理。

●100名城スタンプ設置場所●
天守チケット売場
開館時間 開門:4〜9月 6:00〜18:30、10〜3月 6:00〜17:00
天守:4〜9月 9:00〜17:00、10〜3月 9:00〜16:00
入館料 大人200円、小中学生100円
休館日 年中無休
駐車場 1時間100円

●地図● 宇和島市丸之内
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