ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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佐倉城
2016/3/2更新
2009/9/23記
(2009/9/5訪問)

馬出し空堀

●概要●
鹿島山の西端部に築かれ、西側と南側を囲むように川が流れ、北側には低湿地が広がっていた。千葉氏が築城しようとしたが、家内の勢力争いにより中断。江戸時代に入り本佐倉に土井利勝が入城すると、江戸の守りを固めるために近世城郭として完成させた。石垣は用いず、土塁や堀・枡形・横矢掛りを巧みに配置して、"守るに易く攻めるに難い城"であった。江戸幕府の老中に就いた人数が最多の8名おり、俗に"老中の城"と呼ばれている。明治になり建築物は破却されたが、主要部の遺稿はよく残されている。現在は外郭跡に国立歴史民俗博物館が建てられている。

●歴史●
1547〜54年の間 千葉親胤が築城に着手するが、殺害されたため中断する。
1573〜85年の間 千葉邦胤が改修に着手するが、暗殺されたため中断する。
1590(天正18)年 豊臣秀吉の小田原征伐により、千葉氏が滅亡。
1610(慶長15)年 老中・土井利勝が本佐倉城に入城。
1611(慶長16)年 徳川家康の命により、廃城となっていた鹿島城跡を改修に着手。6年余の歳月をかけて完成させた。
1813(文化10)年 盗賊の失火により天守が焼失。
1873(明治6)年 第一軍管東京鎮台佐倉分管が置かれ、兵営設置のため建物が撤去された。

土井利勝
(どい としかつ)

1573年3月18日、水野信元の三男として生まれる。2歳の時に父が武田勝頼と内通した罪により討たれが、家康の計らいで土井利昌の養子になった。また、家康より破格の寵愛を受けたため、家康の落胤という説もある。政治手腕は天才的で、無名の家ながら江戸幕府大老にまで上り詰めた。家康・秀忠・家光の3代から厚い信任を受け、参勤交代や外様大名の改易など、江戸幕府初期の重要な政策は殆ど利勝によってなされた。酒井忠世や安藤重信と共に「江戸幕府の三傑」といわれる。江戸時代初期に武士が髭を生やす習慣が無くなったが、これは年とともに家康に似てきた利勝が、落胤説を打ち消すために髭を剃り、周囲の武士が真似たためだと言われている。


明治初期の本丸一の門

明治初期の銅櫓

明治初期の椎木門

北の出丸にある現存の門

本丸を囲む帯曲輪

西の出丸跡

佐倉城址公園の案内図

★100名城スタンプ設置場所★
佐倉城址公園管理センター
開館時間 4月〜10月 9:00〜17:00
11月〜3月 9:00〜16:30
休館日 1月1日〜3日
入館料 無料
スタンプの場所 建物の内外にあり、いつでも押せる。

●地図● 千葉県佐倉市城内町

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