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そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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浪岡城
●地図・アクセス● 青森市浪岡五所 2017/8/19更新(訪問日 2017/8/10)
◆概要◆
浪岡城は北畠一族である浪岡氏が本拠としていました。 しかし、浪岡にいつ来たのかははっきりせず、1370年代から1500年代まで諸説あります。 はじまりは南北朝時代に奥州を席捲した北畠顕家、またはその弟・北畠顕信のどちらかも定かではありません。 北畠顕家が1338年に畿内で戦死後、弟の北畠顕信が家督を継いだとみられ、一時は北朝方より多賀城を奪還しました。 その後、1347年に北朝方により多賀城を再び奪われると、北畠氏は同じ南朝方の南部氏のもとに逃れたようです。 その南部氏がやがて北朝方に降伏すると北畠氏を堂々と庇うことが出来なくなり、浪岡に移されたというのが大まかな流れのようです。 浪岡の北畠氏で動向が明らかになってくるのが戦国時代の浪岡具永からで、この頃は「浪岡御所」と呼ばれていました。 その子の浪岡具統の時代が浪岡氏の最盛期で、多くの寺社を修復しています。 浪岡氏は1562年に一族で争った河原御所の乱で当主・浪岡具運が暗殺されてから衰退し始め、1578年に大浦為信に浪岡城を攻め落とされ没落しました。 発掘調査では中国製の陶磁器が多数出土し、青森県では1940年に初めて国の史跡に指定されました。 現在は浪岡城址公園として整備され、2017年4月6日には続日本100名城に選出されています。


現地の案内図
城跡の南東部にある浪岡城跡案内所です。駐車場は無料です。 私は閉館後の17時ごろに訪ねましたが、車を停めることができました。 出来ればパンフなど頂きたかったのですが、続100名城のスタンプを押しにまた来る予定なので、その時までのお楽しみという事に。

猿楽館

東館

東館と猿楽館の間の堀
訪ねる前の浪岡城のイメージは、草が刈られて二重の堀が綺麗に見えるというものでした。 しかし、実際に訪ねてみると、案内所の裏から猿楽館脇を通る道は草むらに歩く道がやっと通っているという状態。 東館は綺麗に草が刈られていたものの、猿楽館との間の堀は草に埋もれて全く見えませんでした。 続100名城に選定された直後なので、さぞ意気揚々と観光客を迎えてくれるものと思っていましたが・・・

東館から堀の真ん中の土塁へ

二重堀の真ん中を歩きます

北館の入口
東館から西へ伸びる二重堀のまん中が通路となっています。 右側は綺麗に草が刈られているものの、左側は草が伸び放題。 せっかくの二重堀ですが、これでは片方しか見えずちょっと残念。

北館内部は迷路?

木の塀や杭が整然と並んでいます

図や写真の載ったモニュメント
北館はお城の中心部のようで、他の箇所よりもかなり力が入っています。 ただ、木の塀が何を表現しているのかわからず、まるで迷路のように見えます。

二重堀の西端

北館西端の虎口跡

北館と内館の間

堀跡と西館

西館

内館

城址碑

北畠古城跡碑と彫られています

内館から北館を見た所