ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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岡崎城
2016/2/26更新
2009/10/18記
(2007/5/4訪問)

復興天守
 
●概要●
1452年または1455年に龍頭山の砦として三河国守護代・西郷氏が築城した。1531年には松平清康(徳川家康の祖父)が城主となり勢力を広げたが、家臣の謀反により命を落とした。さらに、松平広忠(徳川家康の父)が家臣の謀反によって殺害されると、岡崎城は今川氏の城となった。桶狭間の戦いで今川義元が討死すると、松平元康(後の徳川家康)は岡崎城を取り戻して今川家から独立した。豊臣秀吉による小田原征伐の後、家康が旧北条氏領である関東に移されると田中吉政が城主となり、近世城郭として整備した。江戸時代には譜代大名が城主を務め、5万石ながら開祖出生の地ということで誇りにしたという。1873年に廃城となり、天守をはじめ建築物はことごとく破却された。

●歴史●
15世紀前半 明大寺の地に西郷頼嗣(稠頼)によって築城された。
1531(享禄4)年 松平清康(徳川家康の祖父)が現在の位置に移転。
1542(天文11)年 徳川家康が岡崎城内で誕生。家康は6歳で織田信秀(信長の父)、8歳で今川義元の人質となり、少年期を他国で過ごした。
1549(天文18)年 松平広忠(徳川家康の父)が家臣によって殺害されると、岡崎城は今川家の支城として城代が置かれた。
1560(永禄3)年 桶狭間の合戦で今川義元が戦死。松平元康は今川氏より独立した。
1570(元亀元)年 家康は本拠を遠江国浜松に移し、嫡男・信康を岡崎城主とした。
1579(天正7)年 信康が武田信玄に内通した疑いにより自刃。重臣の石川数正が城主となる。
1590(天正18)年 家康が豊臣秀吉によって関東に移され、田中吉政が城主となった。
1592(文禄元)年 田中吉政は大規模な城郭の整備拡張を行い、城の東・北・西に総延長4.7kmに及ぶ総堀をつくった。
1617(元和3)年 本多康紀が城主のときはに3層3階地下1階での天守閣が建てられた。
1873(明治6)年 廃城令によって廃城処分となり、建物が撤去された。
1959(昭和34)年 ほぼ昔どおりの外観で天守閣が復元された。

徳川家康
(とくがわ いえやす)

1543年1月31日、岡崎城主・松平広忠の子としてまれた。当時の松平氏は弱小であり、6歳で織田氏に、8歳で今川氏に人質として送られた。桶狭間の戦いで今川義元が討死すると、混乱に乗じて独立。織田信長の盟友となった。本能寺の変で信長が討たれると、その混乱に乗じて勢力を拡大。豊臣秀吉には小牧・長久手の戦いでは勝利した。だが、擁立していた織田信雄が秀吉と和睦したため、秀吉に臣従した。秀吉の死後、関ヶ原の戦いに勝利し、征夷大将軍として江戸幕府を開いた。


●100名城スタンプ設置場所●
天守1階

●案内●
入場料 中学生以上200円、5歳以上100円
開館時間 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日 年末年始(12月29日〜31日)

●地図● 愛知県岡崎市康生町

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