ドライブ&ツーリングでどこへ行こう・・・
そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。

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名古屋城
2016/2/26更新
2008/6/18記
(2007/5/4訪問)

小天守と大天守(復元)
●概要●
別名は金鯱城、金城であり、尾張徳川家17代の居城であった。大坂城、熊本城とともに日本三名城に並び称される。天守に取り付けられた金の鯱は、城だけでなく名古屋の象徴にもなっている。名古屋城二の丸は織田信長誕生の地とされる那古野城があった。

●歴史●
16世紀の前半、今川氏親が尾張に進出し、柳ノ丸を築いた。
この城は、のちの名古屋城二の丸一帯にあった。
1532(天文元)年 織田信秀が奪い、那古野城と改名。
織田信長はこの城で生まれた。
1555(弘治元)年 信長が清洲城に本拠を移し廃城となった。
1600(慶長5)年 家康は四男の松平忠吉を清洲城主とする。
1607(慶長12)年 松平忠吉病没。代わって家康九男の徳川義利(義直)が清洲城主となる。
1610(慶長15)年 天下普請で築城に着手。
石垣は諸大名の分担によって築かれ、天守台石垣は加藤清正が築いた。
1612(慶長17)年 天守閣や諸門、櫓などが完成。
1615(元和元)年 本丸御殿が完成。
1616(元和2)年 義直が名古屋城に入城。
家臣、町人はもとより、社寺3社110か寺、清洲城小天守も移り「清洲越し」と呼ばれた。
1620(元和6)年 義直とその家族が本丸御殿から二の丸御殿に移居。
1626(寛永3)年 2代将軍・徳川秀忠が上洛に際し宿泊。
1633(寛永10)年 3代将軍・徳川家光の上洛に備え、上洛殿などの作事に着手。
1634(寛永11)年 3代将軍徳川家光が上洛に際し宿泊。
1728(享保13)年 桟瓦に葺き替え、妻を塗籠にした。
1870(明治3)年 14代藩主・徳川慶勝は新政府に名古屋城の破却と金鯱の献上を申し出た。
1871(明治4)年 在日ドイツ公使フォン・ブランドが金鯱の解体に反対し、保存が決定。
1891(明治24)年 濃尾大地震。西南隅櫓や多聞櫓の一部が倒壊。
天守と本丸御殿は大きな被害を受けなかった。
1893(明治26)年 陸軍省から宮内省に移管され、名古屋離宮になる。
1930(昭和5)年 離宮が廃され、名古屋市に下賜される。天守閣とともに建物が国宝指定。
名古屋市は恩賜元離宮として一般公開された。
1945(昭和20)年 名古屋空襲により本丸御殿、大天守、金鯱などが焼夷弾の直撃を受け焼失。
戦後、三の丸を除く城址は名城公園とされた。
1957(昭和32)年 天守閣の再建開始。
1959(昭和34)年 天守閣の再建完成。
2008(平成20)年 本丸御殿再建工事着工。2022(平成34)年の完成を目指して復元中。

●天下普請●
豊臣家恩顧の大名20家に普請の手伝いが命じられた。江戸城や駿府城などの天下普請が続き、出費は膨らむばかり。福島正則が愚痴を言うと、加藤清正が「文句があるなら国に帰り戦の支度でもしろ」とたしなめた、というエピソードがある。
現在、耐震強度向上のため石垣の補強中であるが「100年かかっても終わらない」といわれる規模の名古屋城。20家の外様大名達はわずか2年で完成させている。石垣には各家の家紋が彫られており、苦労して運んだ巨石を間違って他家に使われないようにしていた、と言われている。加藤清正は巨石の運搬に際し、石の上に立って軍扇をとり自ら指揮をとったといわれている。自ら志願して組んだと言われる天守台の石垣は見事で「清正流三日月石垣」と呼ばれている。

 

●100名城スタンプ設置場所●
正門改札所、東門改札所
●案内●
開園時間 9:00〜16:30(天守閣・本丸御殿は16:00まで)
休園日 12月29日〜1月1日
観覧料 大人500円、中学生以下は無料

●地図● 愛知県名古屋市中区本丸

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