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そんな時お城をターゲットに走ることを思いつきました。
そして気が付いたら全国津々浦々(笑)
これまでに訪問したお城を紹介します。
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犬山城
2017/3/29更新(訪問日 2007/5/4、2008/7/12)

現存天守
◆概要◆
日本で現存する12棟の天守の1つで、国宝に指定されています。別名「白帝城」とも呼ばれ、荻生徂徠が命名したと伝えられます。白帝城が長江沿いにあるように、木曽川沿いにあることがその名の由来です。水上交通の要衝である木曽川を押さえ、軍事上・経済上・交通上の重要な拠点として重きをなしてきました。このように重要な位置にあったためめまぐるしく城主が替わりましたが、1617年に尾張藩家老・成瀬正成が城主となってからは、代々成瀬家の居城となりました。現在も成瀬家の子孫が理事長を務める財団法人「犬山城白帝文庫」の所有となっています。

◆歴史◆
1469年 織田広近が築いた砦が始まりとされます。 1595年 豊臣秀次が自害したため、城主の三輪五郎右衛門は連座して改易されました。豊臣秀吉の家臣・石川光吉が城主となり、天守を改築しました。
1537年 織田信康が木ノ下城(旧犬山城)を廃し、現在の位置に築城。現存する天守の2階までは、この頃に建てられたと考えられています。 1600年 関ヶ原の戦で城主の石川光吉は、西軍についたため没落しました。
1547年 織田信康が斎藤道三との戦で戦死し、四男の織田信清が城主となりました。 1601年 徳川家康の四男・松平忠吉の家臣・小笠原吉次が城主となりました。
1564年 織田信清が織田信長と対立し、織田信長により攻め落とされました。 1607年 尾張藩家老・平岩親吉が城主となりました。
1570年 姉川の戦の功により、織田信長家臣・池田恒興が城主となりました。 1611年 平岩親吉が名古屋城二ノ丸御殿で死去し、以後6年間、城主が不在となりました。
1580年 池田常興が摂津の荒木村重を破り、尼ケ崎城へ移りました。 1617年 尾張藩家老の成瀬正成が城主となり、天守に唐破風出窓を増築しました。以後、成瀬家9代の居城となりました。
1581年 織田信長の五男で池田恒興の娘婿・織田勝長が城主となりました。 1871年 廃藩置県により廃城となりました。
1582年 織田勝長は本能寺の変で父に殉死。織田信雄の家臣・中川定成が城主となりました。 1891年 濃尾地震で天守の一部や櫓・城門などが壊れました。
1584年 小牧・長久手の戦の舞台となり、池田常興が攻め落としました。池田恒興が戦死した後は加藤泰景が城代となりましたが、戦後、織田信雄に返還されて、家臣の武田清利が城主となりました。 1895年 城の修復を条件に、旧犬山藩主・成瀬正肥に無償で譲渡されました。
1587年 織田信雄の家臣・土方雄良が城主となりました。 1935年 国宝保存法に基づき当時の国宝(現在の重要文化財に相当)に指定されました。
1590年 織田信雄が移封を拒否したため改易され、豊臣秀次の実父・三好吉房が城主となりました。 1952年 文化財保護法に基づき、国宝(現在の国宝)に指定されました。
1591年 豊臣秀次の一族である三輪五郎右衛門が城主となりました。 2004年 個人所有から財団法人「犬山城白帝文庫」に移管されました。

木曽川沿いにあります

天守からの眺め

現存天守らしい急な階段

●100名城スタンプ設置場所●
チケット売場2階にある管理事務所
開場時間 9:00〜17:00(入場は16:30まで)
入場料 大人 550円、小中学生 110円
休場日 12月29日〜31日

●地図● 愛知県犬山市犬山
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